シンプレクティック積分
常微分方程式で学んだルンゲ=クッタ法(RK4)は非常に高精度ですが、天体の軌道計算や分子動力学シミュレーションのように「エネルギー保存則が成り立つ系(ハミルトン系)」を長時間計算する場合、エネルギーが徐々に保存されなくなるという問題があります。
本節では、ハミルトン系の幾何学的構造(シンプレクティック構造)を保存するように設計されたシンプレクティック積分法について学びます。
なぜ標準的な手法ではダメなのか?
標準的な手法(オイラー法やルンゲ=クッタ法)は、解を の多項式で近似することに主眼を置いています。しかし、これらは位相空間(位置 と運動量 の空間)における面積保存(リウヴィルの定理)を必ずしも満たしません。
結果として、例えば調和振動子の計算において:
- 前進オイラー法:エネルギーが指数関数的に増大し、軌道が外側に螺旋を描く。
- ルンゲ=クッタ法 (RK4):エネルギー誤差は非常に小さいが、長時間計算では単調に減衰(あるいは増大)し続け、元に戻らない。
オイラー・クローマー法
最も単純なシンプレクティック積分は、オイラー・クローマー法 (Euler-Cromer method) です。
オイラー・クローマー法(1次精度):
(先に速度を更新)
(更新後の速度を使って位置を更新)
たったこれだけの変更ですが、この手法は位相空間上の面積を保存し、エネルギーが平均的に一定値を保つようになります。
速度ベレ法 (Velocity Verlet)
分子動力学などで最も広く使われるのが速度ベレ法 (Velocity Verlet method) です。これは2次精度であり、時間反転対称性を持ちます。
位置を更新:
新しい位置での加速度 を計算。
速度を更新:
2次精度の導出
速度ベレ法の精度は、位置 のテイラー展開を考えることで導かれます。
速度ベレ法の位置の更新式は、このテイラー展開の の項までを厳密に含んでいます。したがって、1ステップあたりの局所誤差は となり、累積される全誤差は の2次精度となります。
また、速度の更新式は と における加速度の平均を用いる「台形公式」の形をしており、これも2次精度を支えています。
Rustによる実装とエネルギー監視
調和振動子( )を例に、エネルギーの保存性を確認できるコードを実装します。
use ndarray::{Array1, arr1};
struct Particle {
pos: Array1<f64>,
vel: Array1<f64>,
}
impl Particle {
fn new(x: f64, v: f64) -> Self {
Self { pos: arr1(&[x]), vel: arr1(&[v]) }
}
// 全エネルギー E = 1/2 v^2 + 1/2 x^2
fn energy(&self) -> f64 {
0.5 * (self.vel[0].powi(2) + self.pos[0].powi(2))
}
}
fn get_acceleration(pos: &Array1<f64>) -> Array1<f64> {
-pos // 復元力 F = -x
}
fn velocity_verlet_step(p: &mut Particle, dt: f64) {
let a_curr = get_acceleration(&p.pos);
// 1. 位置の更新: x(t+dt) = x(t) + v(t)dt + 0.5*a(t)dt^2
p.pos += &(&p.vel * dt + 0.5 * &a_curr * dt * dt);
// 2. 新しい位置での加速度 a(t+dt)
let a_next = get_acceleration(&p.pos);
// 3. 速度の更新: v(t+dt) = v(t) + 0.5*(a(t) + a(t+dt))dt
p.vel += &(0.5 * (&a_curr + &a_next) * dt);
}
fn main() {
let mut p = Particle::new(1.0, 0.0);
let dt = 0.1;
println!("Time, Position, Energy");
for i in 0..101 {
let t = i as f64 * dt;
if i % 10 == 0 {
println!("{:.1}, {:.4}, {:.6}", t, p.pos[0], p.energy());
}
velocity_verlet_step(&mut p, dt);
}
}

高次のシンプレクティック積分
4次精度が必要な場合、RK4の代わりにフォレスト=ルース (Forest-Ruth) の4次シンプレクティック積分 などを用いることができます。これは、1ステップを複数のサブステップに分割し、特定の係数 を用いて更新を繰り返す手法です。
のように係数を定めることで、シンプレクティック性を保ったまま4次精度を達成できます。
なぜシンプレクティック積分はエネルギーを保存するのか?
厳密には、シンプレクティック積分が保存するのは元のハミルトニアン そのものではなく、それに非常に近い 「影のハミルトニアン (Shadow Hamiltonian) 」 です。なぜこのような性質が生まれるのか、その理由を幾何学的に説明します。
1. 位相空間の面積保存
ハミルトン力学において、時間発展は位相空間 上の面積(正確にはシンプレクティック形式)を保存する写像であることが知られています。
オイラー・クローマー法の1ステップ のヤコビ行列 を計算してみると:
この写像のヤコビ行列の行列式は となります。これは、この数値スキームが位相空間の体積を厳密に保存していることを意味します。一方、標準的なオイラー法では となり、ステップごとに体積が膨張(または収縮)してしまいます。
2. 後退誤差解析と影のハミルトニアン
「面積を保存する離散的な写像」は、ある別のハミルトン系の厳密な解として解釈できるという定理があります。
つまり、私たちがシンプレクティック積分で解いているのは、元の系 ではなく、
という、時間刻み に依存する「少しだけずれた系」の厳密な解なのです。
- この は数値計算中、マシン精度(浮動小数点の丸め誤差)を除いて厳密に保存されます。
- 真のエネルギー は、この保存量 の周りを の幅で振動し続けるため、長時間経過しても誤差が累積(ドリフト)することはありません。
これが、シンプレクティック積分が「エネルギーを保存する」と言われる理由の幾何学的な正体です。